「じぶんを作られにいく」

なんじゃここは

久保まりな▶

MarinaK1

こんにちは。北海道大学法学部4年の久保まりなです。今から部屋に生えたキノコのおいしい食べ方についてお話します。嘘です。

私にとってOYWはどのような場所なのかということについて、お話させていただきます。

 最近やっと気づいたことがあります。人間は他人を鏡にして自分を見るということです。

そしてそのなかで、自分とは何者なのかという意識を作っていくということです。

 OYWには、約190か国から1300人の人間が集まります。多様性が大切ですよといわれる昨今ですが、あそこは多様性の極地でした。エクストリームすぎて脳みそがすこし漏れました。だって、ターバン巻いた人と、アフリカのドレスを着てる人と、キャプテンアメリカ(みたいな人)とお坊さんが同時に視野に入ってくるんですよ。なにこれ?ヴァーチャルな世界来ちゃった?画面の中入っちゃった?

なんじゃここは
なんじゃここは

 多様性の洪水に飲まれながら開会式を終えたとき、私は「すごいところに来ちゃったなあ。どうしよう」と思いました。何がどうしようなのでしょうか。わかりませんでした。その時はおろおろするばかりで、とりあえずロビーにいた3mぐらいのピエロと写真を撮ったりしました。これは「OYWやらなくていいことランキングの5位ぐらいに入っています。
今かんがえると、多様性の洪水に飲まれた結果、「じぶん」の輪郭が完全に流されていたのだと思います。塵のような残りかすだけ持って、あの特殊な空間にどうやって存在していいか、わからなくなっていたのです。

もはや黒歴史となった写真
もはや黒歴史となった写真

しかしプログラムがすすむにつれて、ヴァーチャル世界とさえ感じたOYWの空間は圧倒的なリアリティに変わっていきました。たくさんの参加者と話したり彼らのスピーチを聞いたりしているうちに、彼らが皆ひとりの「人間」としてOYWの空間に参加していることに気が付きました。自分の所属するコミュニティでどう存在するかという根本的な問いにそれぞれの模索の結果をもって、今度は世界でどう生きていくかをいうことを考えに来ていたのです。そういう人間の営みを、すごくいとおしく感じました。

ひとりひとり、「人間」としてここに存在している。それは皆も私も同じでした。
ひとりひとり、「人間」としてここに存在している。それは皆も私も同じでした。

 そんな考えを経て、閉会式です。私は友人とホールの最上席に座っていました。下の席では、約190か国から来た1300人の若者がずらーっと座っています。

それを見た時にピンときました。

「あっ、ここ地球だ!」

 多様性の洪水と共存する、静かな一体感。この空間の正体は、地球そのものだったのです。それを理解したとき、自分もほかの参加者と同じように地球の上に一人の人間として存在しているという意識がわいてきました。OYWの空間を鏡にして、ぼんやりと浮いていた「じぶん」の新しい輪郭が描かれたのです。

閉会式で一緒に座っていた、南アフリカのファッションデザイナー、リナ
閉会式で一緒に座っていた、南アフリカのファッションデザイナー、リナ

 高校生のときは、全身タイツで目立たないように登校する方法や、学校のロッカーでフジツボを育てる方法ばかり考えていたため、「自分は何者なのか」という疑問そのものを抱くことはありませんでした。大学生になってから、自分の存在の仕方や自分とその外の世界との関わり方がわからないと不安になりだして、たくさんの人と会う機会を作るように心がけてきました。今やっと、その経験によって私の輪郭ができていることに気づきました。自分は探すものというよりも、作られていくものなのかもしれません。

OYW参加当時に留学をしていた者たち。それぞれの国に帰国後もSkypeで励ましあった。こういう仲間ができるのもOYWのいいところ。
OYW参加当時に留学をしていた者たち。それぞれの国に帰国後もSkypeで励ましあった。こういう仲間ができるのもOYWのいいところ。

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